適応障害で退職して8ヶ月が経った今、どんな日々を過ごしているのか、どんなことを感じているのかまとめてみようと思います。
最近の自分はぼーっとすることが増え、これまでできていたこともやる気が起こらず、できないことが多くなっています。睡眠についても、以前は安定していたのが、最近は眠りが浅くなり、早朝に目が覚めることが増えました。眠った気がせず二度寝をすると、今度はぼーっとして午前中は起きることができません。
退職してからこれまで、疲労感などのしんどさはあったものの、なんとか回復したいという気持ちがあり、さまざまな活動に取り組んできました。しかし、今はそれらが一切手につかず、自分が何をしたいのかわからない日々を過ごしています。
私がこれまで「当たり前」だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってしまいました。
働くこと、
お金を稼ぐこと、
人と関わること、
日々をこなすこと。
それらは「生きるために当然のこと」と思っていました。
でもある日突然、その「当然」がすっぽりと自分の中から抜け落ちてしまいました。
頭ではわかっているのに、体も心も動かない。そんな自分に戸惑いました。
何かをしなければという焦りはありますが、そのために行動に移すことが難しいです。
自分が何をやりたいのかがわからなくなり、何をやっても満たされない感覚が常にあります。
「何かしなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
「このままじゃダメだ」
何度もそう思いました。でも、体がついてこない。
目の前のことに手を伸ばす気力が湧いてこない。
以前はできていたことが、今はまるで別人のようにできなくなりました。
生きることそのものが、しんどい。
ただ朝起きて、食事をして、呼吸をすることさえそう感じる日があります。
かつての私は、生きるために「何かをする」のが自然でした。
苦痛ではなかったし、「それが生きるってことだ」と信じていました。
突然、幸せがわからなくなりました。
今までなら、「〇〇を達成した」「誰かに感謝された」「周りよりうまくやれた」
そんなことが「幸せ」だと思っていました。
けれど、それらに意味を見いだせなくなってしまいました。
何かをなさなければ、生きる価値がない。
役に立たなければ、自分に意味がない。
そんな思い込みが、私をこれまでずっと縛っていました。
そして、うつになったことで、その考えがガラガラと崩れていきました。
私はこれまでずっと、
「何者かにならなければ」
「ちゃんとした肩書きを持たなければ」
「誰かの役に立たなければ」
と思って生きてきました。
そうすれば、自分は生きていてもいいと思える気がしていました。
でも、誰かの役に立ったところで、自分自身が自分を認めなければ、私が認められることはありません。
私はこれまで、その基準を他人に委ねてしまっていたのです。
私は自分自身のことを全然わかっていなかったんだと気づきました。
自分を満たすことができないのは、何が自分の幸せなのかがわからないからです。
退職して、たくさんの時間ができたのに、私は自分がどうしたいのか、何を感じているのか、わからなくなってしまいました。
今はその答えを見つけるのがとても難しいです。
「自分の幸せってなんだろう?」と考えてみても、それがどこにあるのか全く見えません。
まだ、何かをしなければいけないという焦りはあります。
社会的な価値を感じるために何かを成し遂げなければいけない、何かを「達成」しなければならないという気持ちはまだあります。
でも、今はその焦りに押しつぶされることなく、少し立ち止まって、自分が本当に望む幸せを見つけたいと思っています。
そのためには、まず自分を知り、自分を大切にすることから始めなければならないと感じています。
自分の内側にある本当の声に耳を傾け、他人の価値観や社会の期待に左右されずに、自分自身がどう感じ、どう生きたいのかをじっくりと見つめ直したいと思います。
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