私は今振り返ると小さい頃からうつの傾向があったように思います。
今回はそんな私の長いうつとの付き合いを振り返っていけたらと思います。
様子のおかしかった子ども時代
私は、子どもの頃から自律神経の働きが弱く、体温調節の苦手さや体のだるさがありました。それにより夜は体が熱って眠れないなど、睡眠障害も抱えていました。
幼稚園の頃から朝起きるのが苦手で、時間があればいつまでも眠っていました。小学生の時は常に体が熱っていて、年中半袖を着て過ごしている変わった子でした。
幼稚園の頃から場面緘黙もあったので、幼稚園や学校でのストレスというものが大きかったのだと思います。その分、幼稚園や学校が終わるとはしゃぎ回っていた記憶があります。
それが中学生の頃から、学校から帰ると疲れて何もできなくてすぐに眠ってしまうようになりました。その頃から学校以外の時間はほとんどベッドで過ごすようになっていました。
燃え尽きのような物を感じ出したのは、小学6年生の頃でした。それまで一度も学校を休んだことがなかったのに、学校を休みたがるようになったのです。
私は平熱が高めで、普通に人の微熱くらいの体温があったので、それで熱があるとしょっちゅう学校を休んでいました。今思うとただの平熱でしたが。もしかしたら体温が高いことと疲れやすいことに関係があるのかもしれません。
学生時代は燃え尽きを繰り返す
中学生になると1年生の冬ごろから学校に行くのに疲れ始め、突然不登校になりました。もう学校に行く気力がなくなり、動けなくなりました。不登校の原因は燃え尽きだったと思います。
不登校の間は、ほとんど寝て過ごしていました。
それでもなんとかしないとという思いはあって、新学期から教室に飛び込んだりもしましたが、結局また燃え尽きてしまって不登校を繰り返していました。
高校進学でも環境が変わったのを機に色々頑張りましたが、人間関係も、体調面でも疲れてしまって、夏休み明けから不登校に。その後、通信制高校に転校しました。
学校以外の時間に横になっているのは相変わらずで、学校に行く時は力を振り絞って起き上がっていました。
大学時代にもそれは続き、大学はなんとか通うことができていましたが、大学以外の時間はほとんど横になって過ごしました。
忙しさでキャパオーバーになった大学院時代
それから大学院まで進学した私は、研究や資格の勉強をしながら、生活費のためのアルバイトもしていました。さらに、高校を卒業して社会人になった妹と二人で暮らすことになったのです。
妹との生活は、妹の面倒を私が見ることになり、私にとっては負担となるものでした。大学院とアルバイトで休みなど取れない中で、社会人になった妹の面倒まで見なければならなかったのです。
この頃のスケジュールは本当にびっしりで、今スケジュールアプリを振り返ってみると本当に恐ろしいほどです。それまでも体力がなかった私がこんな過ごし方をしていて、どんどんすり減っていくのは当たり前のことでした。
だんだんと、完全に思考が停止している時間が出てくるようになり、動けない時間が増えていきました。食事をとることもできなくなり、家のベランダから下を覗いてはそのまま動けなくなるということも増えていきました。
自殺しようとしていたわけではありません。ただ、何も考えられなくなっていたんです。それから、母と相談して、妹は祖母の家で引き取ってもらうことになりました。
それからなんとか就職までしましたが、結局適応障害になって4ヶ月で辞めてしまいました。
うつと付き合ってきたこれまでを振り返って
振り返るとずっと軽いうつ状態であったように思います。子どもの頃から自分の気分や体調に振り回されながら生きてきました。だからこそ本当にしんどくなる前に休むことができたと思っています。
これまで、どんなにしんどくなってもまた頑張ろうと立ち上がり続けてきました。そして無理を続けていたのです。それを、ようやくやめようと思うことができました。無理して生きても、自分をただすり減らすだけで何にもならないと気づきました。
それでも、また頑張ろうとしてしまう自分がいます。無理して頑張って生きることに意味があるのかと思う反面、頑張らないで生きててなんになるのかと思う自分もいます。だからこそ今は、無理せず生きることを頑張るようにしています。
今もまだ、うつとの付き合いは続いています。だからこそ、無理をしない生き方を模索していきたいです。
コメント